二つに一つ……のことなのか?

イートじゃないとダメだ、とかリリースじゃないとダメだという二分法は間違っています。

リリースという行為には、大きくなって、あるいは、また仲間を増やして、我々釣り人に付き合ってくれよ、という思いも、意識するにせよしないにせよ、あるでしょう。

これも言ってしまえば、完全に、自然思想で言う「人間中心主義」の考え方です。

しかし、「食べたい魚は食べる」という(これまた「人間中心主義」の)ごくごく自然な考え方と同様に、そこに偽善がない分、よほど真っ当だと思います。

そして、そうしてリリースする際の、無事に生きて自然に戻って欲しいという思いは、本当なのです。

そうでなくとも、「食べようとも思わない」「持って帰って剥製にしようとも思わない」「飼おうとも思わない」……だから「リリースする」ということにも、偽善がないと言えるでしょう。

極めて実際的で、自然な行為だとも思います。

これが、各論、具体論に入っていくと、「害為す」とされる魚を釣ってまた水中に戻すことについて、また色々と議論が発生するわけですが、これも「害」の程度や実体、遊漁における駆除行為の意味など僕も思っていることがありますので、また項を改めたいと思います。

また、一般論にしても、遊漁において「食べる釣り」とはなんなのか、「プロフェッショナル」とはなんなのか等、これも項を改めて僕の考えを書いてみたいと思います。