生物多様性の保全

 池田先生は、確か、在来魚は滅びない論者だったような気がしますけど、でも仰ってることは、こういうようなことですよね、実際。多分(^^;;。
 でも、これもある意味、僕個人は納得しちゃう部分があるんですよね、実は。
 というのも、これは昔某所でも書いたことですが、「生物多様性保全」の本を何冊か以前読んだときに、「保全しなければならない理由」っていうのが挙げられていて、

進化の博物学―めくるめく生物の多様性

進化の博物学―めくるめく生物の多様性

移入・外来・侵入種―生物多様性を脅かすもの

移入・外来・侵入種―生物多様性を脅かすもの

で書かれていたのは、

1.安定性を保つために必要である。
 多様な生態系は、どのような衝撃をも和らげてしまうだけの釣り合いを保っている、ということです。

2.将来の利益を約束してくれる。
 将来、確実に医学、農学、工学、人文科学の各分野で貢献することになるものが多く含まれている。

3.喜びをもたらしてくれる。
 変化に富んだ風景のほうが、単調な風景より見ていて楽しいに決まっている。

4.興味ある問題を提起してくれる。
 例えば、なぜ熱帯の海は北極海よりも、魚類や無脊椎動物の多様性が高いのだろう。それは……といったようなこと。

5.そうしなければならないから。
 将来の人類のために多様性を保存しておくのは道義的な責任である。

だったりするんで。
ブラックバスについての意見はひとまず置くと、岩槻さんは、この中で、はっきり、



(前略)人が生きる場としての環境をつくる生物多様性が前面に出てくることもあるし、人と、その環境要素であり遺伝子資源である生物多様性とが対立の構図を取ることもある。その際、基本的には、人という種の繁栄を図る生き方を求めるのが人の生物学的特性であるという前提は無視しないでおきたい(後略)


 とした上で

(前略)究極は人自身のために、である(後略)


 と書いておられるんですよね。

もちろん、前にも書いたように、自然思想でいう「人間中心主義」といっても、それは、鬼籍に入られた人々から受け継いだものを、未来、将来の子々孫々にバトンタッチするという意味で、決して、「利己主義」「ミーイズム」で言ってるわけではないのですが、しかし、人間中心主義でない発想もありうると思うので。

中岡さんの考え(やそれに通じるところのある池田さんの)論で、頷ける部分があるのは、古くは、マンモスは人間に絶滅させられた。日本でもニッポニアニッポンが絶滅させられた、日本狼も……。

人間が種を絶滅させたんですから、やはり、そこには、苦いものが込み上げもします。個人的には。

ただ、「生物多様性保全」という思潮から考えると、それが、人為だったのかそうでないのかは、どういう風に折り合いをつけるのでしょう?? というのも一方であって――。

自然に絶滅したのなら、自然淘汰なのだから仕方がない、環境改変も含めて人間が関わると、その絶滅する数が膨大な数に及ぶおそれがある――その違いもあるし、自分たちホモ・サピエンスのせいで絶滅させるということは、少なくともできることとして、保全するよう努力すべきだ――そういった感じになるかと思います。

ただ、いわゆるロンボルグ本

の指摘は置いておくとしても、「遺伝子の多様性保全」の立場からすれば、自然淘汰の絶滅も防ぐべきではないか、そこに人為・非人為を絡ませていくのはどうなんだろう?? という感じがあって、反対に、ひどい表現になってしまいますが、マンモスが絶滅した、トキもニッポニアニッポン、遺伝子としては失われた、しかし、マンモスの後(?)には他の象などが現れて、遺伝子プールとしては増えた、このようにして、人為・非人為関わりなく、地球は回っていくのだろうか?? というのもあって……。

あるいは、オーム貝のように、なんとか生き残ろうと、進化に次ぐ進化、というか突然変異につぐ突然変異というべきか、すごいことがあったりする……。

この辺が自分の中で整理がついてません。正直。池田先生の本を読んだら、得心できる部分があるのでしょうか。

独り言、すみません。

あと、新たな教材が先日届いてしまってる<おいおい(^^;;ので、まったりレスになるかもしれませんが、ちゃんとレスしますので、そこは堪忍ください<(_ _)>……といいつつ、気になって、勉強がおろそかになる予感(^^;;。