小谷野敦氏の「すばらしき愚民社会」

すばらしき愚民社会

すばらしき愚民社会

 呉智英氏の衣鉢を継ぐと自認しておられることがうかがえる、非常に挑発的でキャッチーな書名です。
 「中庸」を目指すのが身上の小谷野敦氏ですが、非常に、選民思想的な誤解をわざと招かせるような狙いのあると穿ってしまう書名です。完全に僕は掌の上というわけで(笑)。


 この中で、小谷野敦氏は、「禁煙ファシズムに断固反対する」と縷々述べられてます。
 喫煙批判については、古くは、福田恆存氏が反駁の一文をものすなどということもありました。
 実際、副流煙が及ぼす害についての一般理解の端緒となった研究については、その統計に無理があるらしい、ということも少々聞き及んでいて、それはともかくも、一喫煙者たる僕自身も開けた地上駅の禁煙などは、一体何なのかと思うので、総論としては「賛」です。

 が、この論理展開、「これはどうだ。これと矛盾しているじゃないか」と呉智英氏流と言ってもいいと思うのですが、オオクチバス問題に引き写せば、残念ながら、かならずや批判の猛火を浴びることが火を見るより明らか(苦笑)でしょう。本当に残念ながら……。

 オオクチバス問題で言えば、全国で激増しているわけでも、「各地で在来魚を食べ尽くしている悪魔」でもないオオクチバスが、オオクチバス自身が抱える問題とは別のところで、あるいはその孕む問題の大きさに比して、明らかに「生物多様性保全」啓蒙のアドバルーンとされた部分が間違いなくあって、一部識者の人たちから、

「日本の内水面のコンクリ護岸化による、在来魚の産卵場所としての浅瀬、避難場所・生育場所としての水生植物群、在来の魚が生きられないくらいに汚染した水質、そして、空いたニッチに外来魚が入り込んだだけで、問題なのは、むしろ、その原因の方だ。生物多様性保全の考え方にも反する、もはや放流無しには成り立たなくなってしまった内水面の現状が、根本的に見据えなければならない問題なのだ。バスは当初増えても、捕食者に組み込まれたメカニズムによって、落ち着き馴染むものだ」

 との声もあがっているにはあがっているのですが、いわゆる規制派は、もちろん、それらも問題だ、だからといって、オオクチバスの問題を放置していいわけではない、それは論理のすり替えだ、で、終わりなのです。とりあえずは……ですが。



やぶにらみ科学論 (ちくま新書)

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岩波 応用倫理学講義〈1〉生命

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 要するに、戦前肯定論でも、太平洋戦争・大東亜戦争肯定論でも、軍国主義でも国粋主義でもなく、「歴史を俯瞰する」という立場から

「当時は、侵略戦争が絶対悪とされる状況では無く、世界中が覇権を求めて、アジアに食指を伸ばしていた時代であった。パリ不戦条約などもあることはあったが、罰則や違反した場合の手続き等々についても不備にも不備を重ねた、一部パシフィスト(平和主義者)による「思想的宣言」に過ぎなかった。アメリカによる日本への資源の経路を絶つ方針、ハルノートABCD包囲網……遅れてきた『帝国主義・日本』という杭の頭が、強烈なハンマーで叩かれたということである」

 的なことを言っても、「他の人が泥棒したからって日本も泥棒して良かったとでもいうんですか?」と、被害者たる人(の子孫)が言ったら、加害者たる人の子孫である日本人はぐうの音も出ない……いや、出にくいということと似ているように思います。
 もちろん、紛う事なき「悲惨」に見舞われた人やその子孫の人たちにとっては、日本人の置かれた状況など知ったことじゃなく、それが軍の方針として行われたことであろうがなかろうが、「悲惨」に見舞われた人が軍籍だったか否かも関係なく、ただただ紛う事なき悲惨が横たわっているだけなので、私的局面では、マナーとしての謝罪はすべきでしょう。(「紛う事なき」を巡って議論があるでしょうが)
 まあ、台湾人やアメリカ人の人が、日本の過去の所行について、「当時は……」と言ったら、そういう「他の人が……」という反論は返ってこないし、当の人のお国が現在も某所や某所を圧政のもとに置いているといった場合もあり、それを私的局面でどう表現し、どう対応するかは、社交の術にかかっていると思いますが……。

 ともかく、当事者が言っても、なかなか説得力を持ち得ないということだと思います。
 にしても、あまりにも、例が悪すぎますが……。

 小谷野さん、是非、バス問題(?)をご参考に(;´▽`A``。
 やっつけ巻頭言でした。