キャッチ&リリースの偽善を言う「釣った魚は、食べることで成仏してもらう。それが本当の釣りだ」の偽善

「釣った魚は、食べることで成仏してもらう」?

 
この手の言い方はいつから流行りだし、猫も杓子も言うようになったのでしょう?
かくいう僕も、以前は、猫であり杓子でありました( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

釣りキチ三平」? いやいや、あの中では結構リリースしてましたし、当の作者であられる矢口高雄さんが、現在、キャッチ&リリースの重要性を言っておられます。(ブラックバスの問題は置いておいて。念のため)

ともかく、僕も、キャッチ&リリースをする人や釣りをよく知りもせず、「人間の勝手に魚を無理矢理つきあわせ、針で痛めつけておきながら、『動物愛護』的な、こじゃれたキャッチ&リリースなどという言葉は胡散臭い、矛盾きわまる典型的な「過剰な動物愛護主義」だと思い込んでいたのです。

それに対して、「釣った魚は――」という言葉には、偽善を排した「ワイルド」で真っ当な「正論」として、魅力と説得力が感じられ、僕のかつての記憶スペースに入り込んだものに違いありません。


今は、猫でも杓子でもない、メディア露出の多い、影響力も多大な、カリスマ性のあるアウトドア派の作家その他の方々までもが、率先してキャッチ&リリースを批判してこうしたことをおっしゃっています。

無頼な言動がカリスマ性を生む一因でもあり、その延長線上で、こういう論もおっしゃるわけですね。