「『正義』の味方」の論点移動について。

「『正義』」の錦の御旗を掲げて、あるいは、その最新衣装を自ら身にまとって、特定個人を標的にしたりして悪罵・罵詈雑言の限りを尽くす下品――当たり前だけれども下ネタがどうしたという意味での「下品」に非ず<それでは、自分を撃っていることになってしまう( ̄∇ ̄;)――な人々は、二つの論理を巧みに入れ替えて使っています。

論点移動も甚だしいというやつです。

これから書くことは、誤解を招くといけないのでこの日記の冒頭に書いたように中身一緒ですが、HP
http://www.geocities.jp/barking_airhead/)の僕の「宣言」を踏まえてのものとして読んでください。

僕は、これまでもこれからも、違法な放流をするつもりはありません。ゴミのポイ捨てもしません。

しかし――ここからが、誤解を招きかねない部分です。というか、揚げ足を取りたい人が抜粋して逐語罵倒できる部分です(汗)。

  • 二つの論点。

1.当時の違法性・犯罪性とその実効性(明文化されている死文・有名無実よりは、不文法の方が……という場合もありますし、第二次大戦前のパリ不戦条約のような当時は法律の体を為していなかったものもあります<だから、もっと良い例は無いのか<自分(^▽^;))

2.当時の価値観・倫理観・「常識」、周知性・コンセンサス


ある人に事実関係の詳細の検証そっちのけで、聞くに堪えない罵倒をしている人たちは、意識しているにせよしていないにせよ、この二つの論点の間を巧みに行きつ戻りつするというアクロバティックな芸当をしています。

それに加えて、ちょうど、バスを日本に移入した赤星鉄馬さんに対して、当時の魚類学者が反対したという外枠の事実だけを以て、「ほら見ろ、当時から学者さんは……」というような言い方をするような論法も織り交ぜます。

もっとも、赤星さんの時に魚類学者が反対した説の中身はといえば、
「ヤマベを貪食する故に、ヤマベより遥かに美味なる鮎を襲わぬ筈はあるまい」
といった如き中身――はしょりすぎなので是非、詳しくは「ブラックバス移植史」

ブラックバス移殖史 (つり人ノベルズ)

ブラックバス移殖史 (つり人ノベルズ)


をご覧ください――であり、これを結果論で、「内容の詳細はともかく……」というのであれば、それは最早論理ではないですし、“どちらについても”「内容の詳細」こそを俎上に上げてください、としか言いようがありません。

(尚、ここで、赤星氏の場合は公式なものだったんだから……という反論をする方はすでにして論点を混同されています)

また赤星氏が没後、神奈川県から表彰されていることも時代の空気を伝える意味で書き添えておくべきでしょう。もちろん、再三再四になりますが、現在の視座からのその善し悪しは別にしてです。

また――この方に関しては「駆除派」という冠をなお使用することをお許しください――その最過激派・急先鋒であられる秋月岩魚さん(&辣腕週刊金曜日系編集者?)の「ブラックバスがメダカを喰う」(文庫になっても「バス釣りは犯罪である」の腰巻は何故か健在なり)

ブラックバスがメダカを食う (宝島社文庫)

ブラックバスがメダカを食う (宝島社文庫)

おいてすら、

移入初期の芦ノ湖漁協等々の「警戒」や「対処」について言及されている一方で、

(前略)加えて、内水面の管理が、よく言えばノンビリしており、悪くいえばシステムが整備されていなかったために(後略)

(前略)驚くことだが、淡水魚の移殖や放流に関して、日本の法律はかなりおおらかだった(後略)

(前略)もちろん、何もなかったわけではなく、各県がそれぞれの実情にあわせて漁業調整規則という規則を定めてきた。(中略)もともとそこにいなかった魚の放流を禁じた県もあれば、特定の魚種の持ち出しを禁止しただけという県もあった。(中略)これが適用されているところもあれば、されていないところもあった。/このような状況だったこともあって、こうした規則の存在さえ知らない釣り人も多かった。また、ブラックバスが問題視される以前からこの規則を設けていた県が少なかったことや…(中略)…つまり『そこにもともといなかった魚の密放流は禁止』とはっきり定めた県が少なく、定められていても周知徹底されていなかった(後略)

 といった記述が見受けられます。

 そして、1970年代に放流をした釣り人のグループの言動を記述した上で、

(前略)彼を支持する人たちは、バス釣りを素晴らしい釣りと心から信じ、日本にいいかたちでバス釣りを根づかせたいと願って、さまざまな活動をしてきたのだと思う。密放流も、そうした活動の一環だったにちがいない。/正直、それはしかるべき機関に相談もなく、許可も得ない誤ったやり方だったが、文章にある種の使命感のようなものが感じられるのは、そのためだろう。彼らが日本の内水面管理に不満をもっていたことも、密放流を自己正当化する理由になった。(後略)


 との見解も示されているのを見逃しにして欲しくありません。

端緒の人がこのようにも書かれているということを――。

ところで、「犯罪」という言葉ですが、上記著書の中では、
僕たち現在の一般バスアングラーについてまで
「犯罪教唆」
「犯罪幇助」
……と言える「かもしれない」
とまで書かれていますね( ̄∇ ̄;)。
ものすごい言われようですね( ̄∇ ̄;)。
とてもアクロバティックな主張だと言える「かもしれない」( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

でも、「犯罪」は「刑法犯」を指す言葉です。

えーと、本格的には大昔に書いたものを手直しして後に掲載するつもりですが、上記著書では、最初に、
「たしかに、規則のなかった県などの場合、法的に違法といいきるのは難しい」
と書いておきながら、
「だが、本書では、『密放流は犯罪である』といいきってきた」と文を続けておられます。秋月さん。

「違法といいきるのは難しい」といったそばから、「『密放流は犯罪である』といいきってきた」って一体???

仰るように、1992年、漁業調整規則改正以後やそれ以前でも琵琶湖などいくつかの湖では、死文だなんだと言わなければ、「違法」と言えるものだったかもしれませんが(でも「犯罪」ではないはずなんだけどなあ??)、在来魚が国民共有の財産だからそれを食べる魚食魚を放流したのが「犯罪」と言い切る理由と言われても……いや、なんともはや。

脱線しすぎました。すみません。

でも、脱線したようでさにあらず、「バスはゴミなんだからそれを……」という論法は、現在の口の悪い「正義」の方々も仰っていたりするらしく、これは、「ゴミのポイ捨て」とニアイコールということなんでしょうが、「極悪人」を「吊し上げる」にしては、罪状が……かえって逆効果のような。もちろん、ゴミのポイ捨ては……って、やっぱりHPの僕の「宣言」踏まえた上でお読みください(^▽^;)。誤解はやがて身を滅ぼす(^▽^;)。神様っ!! 代官様っ!!

それで、当時の時代状況、生物学者の言い分の周知性ということで言えば、漁協は、例えば琵琶湖でも、ニジマスからカムルチー、ウナギその他もろもろの、いわゆる「特定外来生物被害防止法」指定候補も含めて100種を超える外来種が移入されていたし、某漁協では、ティラピア、他の某漁協では……といった空気だったわけですよね。

その意味でも、漁師さんとは、バス釣り人との対立の図式になるべきではなかったということでしょうか……。

ともかく、70年代以降、当時は学者すら論争の中においてすら「生態系の保全」という見地からの「反対論」は数少ないとしか言いようがなかったし、周知もされていなかったということです。当然、「生物多様性」の「せ」の字も無い時代でした。

ここで、再び、「しかし、漁業は、正規の権利と手続きで……」と言い始める方がおられるとしたら、やはり、論点を混同されています。冒頭からもう一度……よろしくお願いします。

なんだか、とても攻撃的な文章になってしまったかもしれません。ごめんなさい。

しかし、この問題に関して、以前からずっと文字通り体を張って孤軍奮闘されていた方に対するそのような悪罵は、ダークな心の持ち主である僕にも、さすがに耐え難いんです。

しかし、甲南大学教授の園田寿さんという方のページ
http://lawschool-konan.jp/sonoda/)――とても勉強になります――から、一部引用させていただくと、

http://lawschool-konan.jp/sonoda/nyumon/mababu01.html

(前略)ところで、「犯罪」あるいは「犯罪者」という言葉も、上に述べたような意味では一つの評価ですが、この言葉はかなりマイナスのイメージが強い言葉であるといえます。それは、一般に犯罪が社会と個人に害を与える憎むべきものであって、刑罰という最強の国家的手段をもちいてまでも排除すべき行為であるというイメージがあるからです。

裁判所がある行為を犯罪として認定すれば、場合によってはその行為者の生命さえをも奪うことが可能となります。刑罰は、犯罪行為に対するひとつの国家的反作用であり、刑罰の厳しさは、裏返せばそのまま犯罪行為の重大性を表しているわけです。

このような意味で、わたしたちは「犯罪」あるいは「犯罪者」という言葉で、有害な事態を表現します。従って、犯罪という言葉には、すでにあらかじめ非常に好ましくないマイナスのイメージが付着しているのです。(後略)

現実に刑罰が科せられなくとも、ある人の行為を周囲が「犯罪」と認定する、これはもうそれだけで、その人にとっては致命的なダメージを意味します。それまでにどれだけ社会に貢献し、社会的な地位を獲得した人であっても、いったんその人の行為が犯罪と認定されれば、それまでに得たものすべてを失いますし、その後の人生が大きく左右されます。それほど犯罪という言葉は、強烈な効果をっているのです。

また、事実が存在しないのに、「犯罪」が認定されてしまうこともあります。このような場合、一般にプラスの評価であれば、それは容易に剥がれますが、マイナスの評価ではそうはいきません。 (後略)


……ということなんで、どうかわかってください。そして、ご理解ください。