新しい仕立ての「正義の味方」衣装なのに……

今日、我が家の老犬が息を引き取った……。
――この表現は的確ではない、もっと自分自身にも老犬自身にも後を引く顛末だった。色々と理由はあれど、こたえた……。今日の思いを我が身に刻みつけるために書き留めておきたい――。

本題。最近思ったことです。
下品な人たちがいるなあと思いました。
昔は、自分では「正義の味方」の存在すら知らなかったのに、あるいは、その「影」くらいしか見たことが無かったのに、あたかも「俺は昔から、あの『正義の味方』の服の皺の数まで知ってたぜ」と言わんばかりの後出しジャンケン

局地的に出没する「正義の味方」に過ぎなかったり、その「正義」について侃々諤々と、その「正義」の「絶対性」について決して旗幟鮮明でなかった時代(現在においてすら生物学とその大枠が押し広げられた「常識」の畑を一歩でれば……)の「正義の味方」が、最近になって、モードを変えてあちこちに姿を現し人々に知られるようになったのに、さも自分は、前からあの姿の「正義の味方」は知っていたよ、とばかりに、事実関係の詳細はどうでもいいとばかりに、当時の「正義」の内実は「結果正しかったんだから」と問わないままに、他人に悪罵を投げつける人々。

どこぞの扇動者が繰り返していた「犯罪」という言葉。いつの刑法で??

僕は、僕個人も「利用派」「擁護派」に分類されますが、利用派・規制派、どちらの側についても、以前から、現在の法・道徳・価値観・周知性を以て、過去の行為を断罪する傲慢・驕慢は間違っていると思う、と言ってきました。最初からそう言っていました。繰り返しますが、「どちらの側についても」です。

現在という高みから過去の行為のあれこれを論う――簡単で安全なことだと思います。しかし、絶対に間違っています。ここで改めて、言っておきたいと思います。