「生物多様性の保全」――更に時間のものさしを長くしていくと???

現在の「生物多様性保全」まわりで、数少ないながらも異議を申し立てている人にも、そのアプローチは様々です。

魔魚狩り―ブラックバスはなぜ殺されるのか

魔魚狩り―ブラックバスはなぜ殺されるのか

水口憲哉さんのように、現在の議論や風潮のおかしさ、「生態系」「生物多様性保全」を基準にして考えても、やっぱりおかしい、問題だ、これが知られていないのは! というスタンスの方もおられれば、更にラディカルに、「生物多様性保全」という思潮そのものに「おかしい」という池田清彦さんのような人もおられます。

どちらの人の論も、それぞれにそれぞれの層において、傾聴すべきところ、説得力を含んでいるので、「おまえはどちらか?」と言われれば、池田清彦さんが水口憲哉さんの論を評価しているのと同様に、水口憲哉さんが池田清彦さんの論を評価しているのと同様に、と。

「侵入種」「侵略的移入種」「侵略的外来種」「外来侵入種」といった言葉があります。すべて同じ意味です。

ついこの間、「生物多様性保全」の重要性が言われるようになるちょっと前までは、生物学の世界でも、持ち込まれたり、自然環境に逸出して、野生化、そして定着にまで至った種には、「帰化種」(naturalized species)という言葉が使われていました。

冒頭の、「侵入種」などの言葉は、(invasive speacies)(invasive alien speacies)(alien invasive speacies)といった英語の訳語として、近年あてられたものです。

そして、この頃、相前後して、日本においては、生物学者の間でも、これからは、「帰化種」ではなく、「侵入種」(invasive speacies)といった言葉を使っていこうとの「言い換えのすすめ」が推進されることになります。

ここにおいては、帰化種」(naturalized species)=「侵入種」(invasive speacies)だったわけです。

現在は、「外来種=移入種」とされる「移入種」ですが、

厳密な意味における
「移入種」という言葉は、「まだ『侵入』まで至っていない種」というものであり、

その「侵入種」は? といえば「その自然分布に人為的に持ち込まれ、野生化して、定着した種」を指すとされていました。

(野生化したけれども定着に至っていない種については、「野生化移入種」)
(その自然分布にはまだ持ち込まれていないけれどもその可能性があるものについては「潜在的移入種」)

「定着」とは、「自然状態で繁殖して個体群を維持していること」です。何世代もその自然で繁殖していれば「定着した」と言う、ということですね。

しかし、そうなると、最初の「帰化種」というのは、どこに行ってしまったのでしょうか?

侵入種という言葉となると、「帰化種」とイコールであったはずですが、同じ言葉(invasive speacies)が、「侵略的移入種」と訳されています。IUCN(国際自然保護連合)まわりをみてみると、訳語のあて方が??なのです。どなたか教えてください<(_ _)>。

帰化種」には、単に「帰化した種」ということで、そこには、良いも悪いも、言葉自体には評価・価値判断は含まれていませんでしたが、「侵入種」「侵略的……」には、あきらかに「負」、マイナスの価値観が含まれています。これは、そのまま、現在の生物学の潮流を反映したものと言えるでしょう。

基本的には、「否」なのです。

予防原則」というのも、入れたらどうなるか予想がつかないからやめておこう、というもので、僕個人は、基本的には、これを支持するものです。

しかし、現在、「帰化種」と「侵略的移入種」という言葉がイコールで結べるかというと、これが、結べないのです。

意味するところ、指し示すところが違ってしまったのですね。

現在、言葉として残っているのは、「史前帰化種」というものです。

これは、江戸時代に線を引いて、それ以前に定着した種については、侵入種として扱わない宣言です。

実は、我々の見慣れた、あるいは、郷愁の中にある里山の自然というのは、帰化種で成り立っていると言っても過言でないため、これをたとえ言葉の問題に限ったとしても「侵入種」と言い換えたら、違和感ありますよね。僕は、率直に言ってあります。

なので、「史前帰化種」はいいのか? といえば、「いいのだ」と僕は思うのですが、「では史後は?」となると、なぜ、江戸時代に線を引けるのか? といった自然科学における科学的根拠も、上の中岡さんの文章を含めて考えても、僕の脳内は混乱の極み、となります。

「生態系の変容」というものを、長いスパンで捉えれば捉えるほど、「史前」と「史後」の線引きどころか、「外来」と「在来」の線引き、「外来種」と「侵略的外来種」の線引きまで、薄くなっていくように感じられ、そうなると、俄然、池田清彦さんの「生物多様性保全という考え方は底が抜けている」という言葉に、拒絶よりは説得力を感じてきてしまうのです。

生物多様性保全」の重要性は、時間的に長く捉えれば捉えるほど、その重要性が増すものですが、さらにさらに時間のものさしを長くしていくと……???
??? で終わって、あとは、ここを読んだ方(い、いるのか?(汗))の判断に、お鉢を預けるのが正解でしょうね(笑)。