釣り

子供の情操の論点・補足

バスがいるいないと子供の問題は確かに直接関係ないですよね。 別にバスがいない時代・空間においても、子供たちは同じような遊びをしてたでしょうし、それがバスで「なければならない」必然性はなんにもありません。本当にそうですよね。でも、現在の「バス…

で、また「国境」?――なんだか腑に落ちないこと

いわゆる「特定外来生物被害防止法」(「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」)のことです。 はてなマークが、そろそろと頭をもたげてくるんです。先に書いたように、「外来種」というのは、国境に関係が無いので、「国外外来種」「国…

「生物多様性の保全」――更に時間のものさしを長くしていくと???

現在の「生物多様性保全」まわりで、数少ないながらも異議を申し立てている人にも、そのアプローチは様々です。魔魚狩り―ブラックバスはなぜ殺されるのか作者: 水口憲哉出版社/メーカー: フライの雑誌社発売日: 2005/02メディア: 単行本購入: 4人 クリック: …

「プロフェッショナル」ということ

まず、一般的な「プロフェッショナル」について考えてみましょう。「プロフェッショナル」とは、何かと引き換えに金銭に代表される代価を得ることです。 更に狭い意味では、そのことを生業にし、それによって生計を立てている場合のことを指すのでしょう。 …

害魚論はひとまず置いて考えてみると……

そして、バス害魚論はひとまず置けば、現代の子供たちの多くが、屋内の楽しみ“だけ”に没頭しているとするなら、そうした子供たちを野外にいざなう「入り口」として、その能動性や手軽さ、物理的距離から言っても、バス釣りは、立派に、その役を果たす釣りで…

にわか宗教家の尻馬に乗ってみる―変わらない思い

再び、僕も、「にわか宗教家」になって言わせてもらうなら、膨大な他の生命の犠牲の上に生命を維持している人間という存在が自身に抱える「業」「原罪」といった宗教的概念があり、「他の生命を利用して遊ぶ」という人間という種独特の行為のひとつである「…

釣りをするということ

「水産」というのは、言うまでもなく、「漁業」と「遊漁」、両方の問題を考えるものです。「漁業」は、「職業」として、漁獲などによって生計(兼業ならその一部)を立てている人を指します。「遊漁」は、読んで字のごとく、「遊びの漁」――「趣味の釣り」の…

「釣り全否定論」の偽善

「食べるべき」の対極に、「釣り全否定」とも言える自論を持つ人もいます。「どちらも、『魚』という他の生命を『遊び』で弄んで、口に針を引っ掛けて喜んでいるのだから、同じ穴の狢だろう」と――。このような方には、鮎の友釣りのおとり鮎をはじめ、活餌と…